2008年 09月 17日
私たちの出会い
今からずいぶん昔々のこと、
・・・いえ、ちょびっと前のこと、
山口県の田舎の高校、私が1年生のたぶん夏頃のことでした。
田舎といっても一学年10クラスくらいあるマンモス校。
クラスやクラブ活動、学年が違えば、人と人が出会い、そして声をかけて
友人になる確率は高くはないのです。
だけど、その千人以上もいる生徒の中で、映美先輩と出会いました。
遠くからでもわかるくらい、キラキラと輝いていたのでした。
なんて書くと大袈裟な!と思うかもしれませんが、
映美先輩を知っている人ならウンウンと頷いてくれるでしょう。
ネクラで夢見がちな少女だった私には、これまた大袈裟ではなく
衝撃的な出会いでした。
心の話、魂の話、神様の話、はたまた宇宙の話まで、どこまでも
広がる映美ワールドに度肝をぬかれ、まばたきも忘れてポカンと口を
開けたままお話を聞いていたような気がします。
ノストラダムスの大予言が流行っていた時代のことです。
人類にとって悲観的な予言とは正反対の、光に満ちたすばらしく
不思議な話ばかりでした。
保守的な環境に育ち、息苦しい失望感をもっていた私には(ネクラじゃ…)、
まるで希望の種を胸の中に植えてもらったようでした。
そして、卒業と同時に、映美先輩は東京に飛び立っていきました。
時は過ぎて、私は数年前に結婚をして東京へ来ました。
そして映美先輩と再会したとき、お互いの姿の変化を一瞬確認(笑)
した後は、もう、高3のポニーテール少女と高1の段カット少女に戻って
岩国弁で大しゃべりしていました。
今年の2月頃、「和の心を伝えるコンサートを東京でもやりたいと
思うのだけど、浩子ちゃん手伝ってくれたら嬉しいなぁ♪」
と言ってくださったとき、
胸のところの眠っていた種がふわ~っと光って、小さな芽を出したような
気がしました。
同時に、私に務まるかしら?お役に立てるかしら?という不安の芽も
生まれましたが、それでも私は、この希望と不安の芽を大事に育てていこうと。
映美先輩と私の出会い、再会のお話でした。
今でもふと不思議な気持ちになります。
あのカラスと呼ばれた真っ黒い制服を着て、廊下で友達と映美先輩を囲んで
おしゃべりをしていた記憶と、今が、繋がっていることの不思議。
神様からいただいたプレゼントであるならば(きっとそうですね)、
そんなご縁の不思議と喜びが、皆様にもありますように。。。
…センチメンタルな内容になって、こっ恥ずかしいです。えへ。
2008年 09月 16日
水天宮 奉納演奏 - 3
ご縁のある内々の方だけ、10名の参列です。
まずは、社務所に用意していただいた部屋で、何故私が水天宮で奉納演奏を
することになったか、その目的について、参列いただく方達にご説明しました。
私が響和堂の活動をするのは、「和の心を伝えて、世界和合のために力を
尽くします」という志を全うするためです。「世界中のみんなが幸せであります
ように…」という祈りの心で、この奉納に臨んでいただきたいというお願いを
いたしました。
本殿にて祝詞をあげていただいた後、玉串奉納です。
有馬さんの祝詞は、とてもわかりやすく私の想いをまとめてくださった、
素晴らしい祝詞で、大変感激いたしました。
そして、塩高和之さんによる琵琶演奏。
曲目は、平家物語より「祇園精舎」、塩高さん作曲「平経正〜永遠への響き」。
実は塩高さんは半月前から喉の調子がおかしく、通院・投薬を続けていた
そうです。前日も思わしくなく、不安な気持ちで当日を迎えましたが、
水天宮に到着して、宮司さんや有馬さんとご挨拶するために口を開いた
途端、喉の違和感がスッと消え、自然に声が出るようになったそうです。
演奏中は、いつも以上に高い集中力で、無心になって演奏に専念できた、
とのことでした。
本当に、それはそれは素晴らしい演奏でした。
参列された中のお一人は、琵琶の音色を聴いた途端、大粒の涙がボタボタ
とこぼれ落ち、自分でもそれに驚いて何が起こったの?と思うほどの
体験したことのない境地に入ったとのこと。魂の奥底に響いて、何かが
呼び起こされたような不思議な感覚だったそうです。
今日は巳の日。
辨財天様のご尊顔を拝観することができました。
なんて美しい。
水天宮に琵琶の音が響いたこと、そして私達の祈りの心を、お喜びに
なっていらっしゃる気がします。
無事奉納演奏も終了し、一つの役目を終えた充足感で、胸がいっぱいに
なりました。みなが響き合い、こうして、この場にいることを幸せに思い、
このご縁を心から感謝いたしました。
奉納を終えて初めて、本当の意味で、響和堂のスタートであるという
引き締まるような想いがしています。
※なお、本殿内は通常は写真撮影禁止となっております。
水天宮のご厚意で、記録のために撮影を許可していただきました。
2008年 09月 16日
水天宮 奉納演奏 - 2
響和堂について、奉納演奏の主旨、演奏家のプロフィールなどを記した資料
を用意して、予め水天宮の社務所に届けておきました。そして、宮司さんに
アポイントをとってお願いに上がりました。
7月26日。宮司室に通され、宮司さんと権禰宜(ごんねぎ)さんに、あらた
めて説明をします。直接の担当者の権禰宜さんから
「よくわかりました。仲村さんには神様がついていらっしゃいますから、きっと
うまくいきますよ。私がちゃんとします。」と心強いお言葉を戴き、初めての
奉納演奏への不安もどこへやら、とてもワクワクしてきました。
そして、本殿や境内の末社を案内してくださいます。
本殿にあるご神鏡は、鏡の周りに龍が施された珍しいもの。
水天は龍を支配する神様。龍は天と地を繋ぐものとして、神社の至る所に
龍の彫り物があります。
水天宮の境内には、学芸・財福・芸事へのご神徳が信仰されている「辨財天」
もお祀りされていました。毎月5日と巳の日にご開帳され、ご神像を拝観する
ことができます。このお社の側面の壁に、有馬のお殿様が書かれたので
あろうと思われる「辨財天」の書が掲げられていました。
権禰宜さんに、
「この文字はとても気品があって、素敵ですよね。私、思わず写真撮っちゃ
いました!」と言うと、
嬉しそうにニッコリと笑って、
「あぁ、うちのお祖父さんが書いたんですよ。農林大臣をやっていましてね。
ほら、競馬の有馬記念を作った…」
「えっ?!」
名刺をよくよくみると、有馬頼央さん…。そう、権禰宜さんは有馬の
お殿様の末裔、17代目でいらっしゃいました。
お父様は著名な作家の有馬頼義氏です。
奉納演奏の日取りは、9月14日(日)16時からと取り決めました。
この日は中秋の名月で、巳の日。辨財天が御開帳になる日ですので、
琵琶と縁の深い辨天様は、きっとお喜びになるに違いないと思ったから
です。
初めての奉納演奏に際し、滞りなく進行できるように、何度か水天宮に足を
運んで、有馬さんには本当にお世話になりました。前日には、玉串奉納の
予行演習までしてくださいました。
2008年 09月 16日
水天宮 奉納演奏 - 1
想いが、ふと湧いてきました。
日本橋・水天宮は、来年第1回プロデュース公演を行う日本橋劇場にほど近い
神社。「子授け・安産」で有名なこの神社は、参拝客のほとんどが妊婦さんや
お礼参りの赤ちゃん連れ、新婚カップル等で、「子宝」に特化した神社ゆえか
境内は幸せオーラに満ちています。
いくら日本橋劇場に近い神社だからとはいえ、何故、一度も訪れたことの
ない、水天宮?
しかも「奉納演奏」を執り行った経験もありません。
そこで、水天宮のホームページにアクセスして、お祀りしてある神様を調べて
みました。
「天御中主大神(あめのみなかぬしのおおかみ)」
古事記に一番最初に登場する神様で、宇宙の根源の神様、宇宙創造神。
なるほど、全てを生み出した神様だから、新しい生命を生む「子授け・安産」
に御神徳が発揮されるということなのですね。
そして、1185年の壇ノ浦の合戦の際に入水したと伝えられている、当時8歳
の安徳天皇と、その母・建礼門院(平清盛の娘)、そして祖母である二位の尼
(清盛の正室)の三人の御霊。
この四柱が、水天宮の御祭神です。
1190年に福岡・筑後川のほとりに、平家の御霊を鎮めるために創建された
お社が発祥であり、その後、1650年に久留米の有馬のお殿様が社殿を寄進
して水天宮は広く信仰されるようになりました。
1818年、有馬のお殿様は、参勤交代の際に、江戸でも水天宮をお参りしたい
と、江戸屋敷内に久留米から分霊した水天宮を建てました。当初は一般の人の
参拝は出来ませんでしたが、御利益を信じる江戸っ子達が、塀の外からお賽銭
を投げるようになりました。ついに毎月5日だけ屋敷を開放して、庶民も
参拝が許されました。人々は、「情け深い」ことを感謝する際に、有馬家と
水天宮を洒落て、「情けありまの水天宮」と口癖のように言ったそうです。
フーテンの寅さんの台詞で有名な「恐れ入りやの鬼子母神」という言葉と共に、
江戸の流行語に…。
今年、東京水天宮は190年を迎えました。
平家の御霊。
私は、来年コンサートに出演していただくことになっている琵琶奏者の
塩高和之さんに、奉納演奏してもらおうと思いました。
塩高さんは、平家に所縁の深い、厳島神社や赤間神宮で公式に奉納演奏を
していらっしゃる方です。きっと、御霊がお喜びになるに違いないと
確信しました。すぐに、塩高さんに連絡をとると「東京の平家所縁の神社
で、奉納演奏したことはこれまでありませんでした。是非、やりましょう!」
と一つ返事で承知してくださいました。
2008年 09月 15日
女王と執事
数字の持つパワーやシンクロを感じるのが好きで、ゾロ目や語呂合わせ
に心躍らせたりする。
毎日車を運転しているので、大好きな「8」並び、特に「8888」なんて
ナンバープレートが目に飛び込んでくると「超ラッキー!」とワクワクするし、
「1126…あ、いい風呂」、「8739…花咲く」、「619…あ、私と
同じ誕生日?」などと勝手に思いめぐらせたりしながらドライブしている
のだ。
今年の3月、響和堂を設立しようと思い立ったとき、「よし、設立記念日は
2008年8月8日で、8時8分にホームページを開設するぞ!」と心に決めた。
ホームページをアップする「分」まで指定されたのでは、Webの制作管理を
任されたパートナーの浩子嬢にとっては、たまったもんじゃない。
しかしながら…
「やりましょう!8を並べてみせますとも!」
これまた浩子嬢が、私に負けず劣らずゾロ目・語呂合わせ好きだったのである。
その日から、二人の間で壮絶な語呂合わせ対決が始まった。
ある電話番号を巡って、それぞれの語呂合わせアイディアを何パターンも
出していく。
浩子嬢はストーリー性を重視し、私は奇抜な発想の組み合わせで、強引に
ねじ伏せる。結果…「ま、参りました。(くやしいぃ…)」
私は浩子嬢と山口県立岩国高等学校の同窓で、2年先輩である。先輩の面目
躍如、私は勝利した。ホーッホッホッホッ。
さて、2008年8月8日8時8分。
無事、ホームページ開設と相成った。
サーバーに送信された時間の記録に8が並ぶ。パーフェクト!
浩子「私は実は8秒も狙っていました。
時報を横に表示させて、昨晩からシュミレーションを繰り返して
おりました。(そんな自分が嫌いではない)
でも、何度もエラーで途中止まるので、これは五分の戦いだな…と
勝負師の気持ちでした。
んで、本番では、8分6秒くらいでデータは転送が完了し、たぶん、
データが「ふー、落ち着いた!」と思ったのが8秒頃ではなかったか
と思います。」
映美「私がこういうことにこだわる感覚を、浩子ちゃんも同じように持っ
てくれていて、とってもとっても嬉しいよ。」
浩子「はいっ だって、どうせやるなら、やるだけやりたいですよ!
たぶん人が聞いたら「…なにがそうさせるん?」とあきれるかもしれ
ないけど、自分にとって意味があれば、そして、それを行えたら、
もうっ最高な気持ちになれますよね〜。」
映美「そうなの!でも、それを共有できるパートナーっていうのにはなか
なか出会えるものじゃないから、とてもとてもこのご縁に感謝して
いるわ!」
浩子「ゾロ目好きの語呂合わせ女王… そう、あなたを自分よりも女王の
名にふさわしいと認めた日から、(くーっ) 私は、ゾロ目好きの語呂
合わせ執事(←未年だからこれはこれで気に入っている)ということで、
一緒にどこまでも歩ませていただく所存だすっっっ\(ToT)/ 」
そして、ブログ開設は一ヶ月後に…もちろん、9月9日9時9分である。