人気ブログランキング | 話題のタグを見る

ブログトップ

響和堂Blog 『 湧玉 wakutama 』

三味線弾きのおばあさま

浩子です。
6月にチラシができてから、コンサートの紹介をさせてもらいに、銀座のある美容院に
度々おじゃましました。その美容院には2年くらい通っているのですが、昨年の春に
「今度、邦楽コンサート企画の手伝いをすることになりました!」
…というところから始まって、2か月に一回ペースでこんなことがあったとか、こんなこと
になったとか、いつも話を聞いていただいていました。

そして、ずっと経過を見守ってくださっていた先生から、
「いつでも来て、お客様にご案内をしてもいいよ!」
と言っていただいたのです。懐かしい香りのするアットホームで素敵な美容院です。
こちらのファンで長年通われているお客様が多く、ソファの待合いスペースはいつも
和気あいあい、そしてテーブルには美味しいお菓子があって温かいお茶を出して
くださるのも、私の好みです(笑)

毎回いろいろな出会いがありました。
若いソプラノ歌手の女性
第九を歌う会(合唱団)に入っている女性
音楽プロデューサーをしている男性
息子がミュージシャンなのよ、だからこういう活動の話を聞くと応援したいわ!と言って
くださった女性
和が大好き!実は藤原道山さんの大ファンなのよ、という女性
若いころ箏を習っていて、国立劇場でも演奏したことがあるという女性
詩吟を1年前から始めて楽しくてたまらない、という女性
父が合唱をしていて僕も歌っていますという若い男性  他にもたくさん…
不思議なのですが、音楽が好き、音楽と関わっている、という方と、毎回タイミングよく
お会いするものですから、いつも先生から「いい時に来たね~♪」と笑われました。

先週、お会いしたおばあ様 Aさんは、プロの三味線弾きをしていたという方でした。
Aさんは子供の頃身体が弱くて、先を心配されたお母様が何かを身につけさせたいと
考え、趣味の長唄三味線を、Aさんに手ほどきされたそうです。
その後お父様の転勤で地方から東京に移り住み、Aさんはプロになる決意を固めて
高校を中退しました。そして名門の三味線と長唄の師匠に弟子入りをします。
世襲の多い世界であり、そこにコネも経験もなく飛び込んだわけですから、大変な
ご苦労をされたそうです。
器用ではなかったというAさんは、自分にはこれしかないのだ、練習しかないのだ、
という強い気持ちをもって修行に励み、8年で名取となりました。
その時、誰よりも喜んでくれたのが、お母様だったそうです。
それはもう、父の出世よりも喜んだのですよ、と…。

それから40年、いろいろな会場で演奏をし続けてこられたそうです。Aさんの三味線は、
音が際立って強く大きいため、立て三味線は男性でないと務まらなかったそうです。
演奏中に三味線の皮が破れることもよくあり、そんなときは、背後からさっと代わりが
差し出されてすぐさま弾き続けるのだとか、臨場感たっぷりのお話をうかがっていると、
なんだか撥さばきの音が聴こえてきそうでした。
小柄で物静かなおばあ様の語り口ですが、そこには想像を超える 厳しい修行と厳しい
生き方 が津々と溢れて伝わってくるようで、圧倒されました。

お母様が病に倒れた時、自分が世話をして恩返しをしたいと決め、引退をされました。
通常は引退が許されないプロの世界、それでも病床のお母様がお師匠に手紙を書かれたり、
Aさんの熱心な説得によって、許されたそうです。
たぶんAさんが六十歳頃のことではないかと思います。
亡くなられて、棺にはお母様愛用の三味線を胸に抱かせるようにして納めたそうです。
その後は演奏活動に復帰することもなく、静かに暮らしていらっしゃいます。
引退されてから、また舞台に戻りたいと思われなかったのですか?とお聴きしたら、
いいえ、ほっとしました。朝から晩まで気を張り詰めることが多く、大変でしたから、と。
今Aさんは七十二歳、まだ若いころに、銀座や新橋のお師匠さんのところに通っていたそうで、
銀座は変わっていない、懐かしい、だからここに来るのが楽しみ、とおっしゃっていました。

ここに書ききれないくらいの素晴らしいお話を聴かせていただけて、とても幸せでした。
コンサートのおかげで、たくさんのご縁をいただいています。
by kyowado | 2009-09-08 11:11 | あれこれ…想う