2009年 11月 09日
コカ・コーラと古文書
機織りは、徐福がこの富士吉田の地にもたらしたもののひとつと言われています。
昔は一家に一台、必ずといっていいほど機織りの機械があったそうで、宮下家の
叔母様も今でもそれで何かこしらえたりしているのよと仰っていました。
機織り(はたおり)は、もともと秦(しん)の織物、秦織り(はたおり)から変化
したのかしらん?などと勝手に想像。
お腹いっぱいうどんを食べた後、お父さんが「 工場を見るかい? 」と、母屋の隣
の建物に案内してくれました。お父さんの名刺には「 宮下織物 」と書いてあります。
そこには、家庭用の機織り機ではなく、工業用の機械が2台並べられていました。

「 今、動かしてるのは1台だけじゃ。」
織物の機械を見るのは初めてです。かなり古い機械のようですが、プログラムされ
た図案通りに、縦糸横糸が美しく折り重なっています。
よく見ると…

「 お父さん!これ、コカ・コーラ?? 」
「 そう。ネクタイの生地じゃ。 」
すごい!
あの世界企業の従業員さんのネクタイは、宮下さんちの1台の古い機械から作られ
ていたのです。毎日締めるネクタイ。きっとしっかりと丈夫で、日本の技術力の
高さを伺い知ることの出来る品質なのでしょう。
さて、いよいよ宮下文書を見るために宮下本家へ。
この宮下文書は「富士古文書」ともいいます。孝霊天皇の時代に日本に渡来した
徐福が、阿祖山大神宮(富士山大神宮)の神官から見せられた膨大な古記録をもと
に漢文でまとめた古文書であり、徐福の七代後裔・秦福寿が書写・追録したものと
(天智天皇10年に中臣藤原物部麻呂が書き直したものとも)されています。
これが、阿祖山大神宮の宮司を代々務めてきた宮下家に保存されていたため「 宮下
文書 」として広く知れ渡りました。
もともと木片や石面などに神代文字で記されていたものを、史伝に着目した徐福が
漢字に書き直したという伝承により「 徐福文書 」とも言われるようになったそう
です。
…続く…
by Emi Nakamura
昔は一家に一台、必ずといっていいほど機織りの機械があったそうで、宮下家の
叔母様も今でもそれで何かこしらえたりしているのよと仰っていました。
機織り(はたおり)は、もともと秦(しん)の織物、秦織り(はたおり)から変化
したのかしらん?などと勝手に想像。
お腹いっぱいうどんを食べた後、お父さんが「 工場を見るかい? 」と、母屋の隣
の建物に案内してくれました。お父さんの名刺には「 宮下織物 」と書いてあります。
そこには、家庭用の機織り機ではなく、工業用の機械が2台並べられていました。

「 今、動かしてるのは1台だけじゃ。」
織物の機械を見るのは初めてです。かなり古い機械のようですが、プログラムされ
た図案通りに、縦糸横糸が美しく折り重なっています。
よく見ると…

「 お父さん!これ、コカ・コーラ?? 」
「 そう。ネクタイの生地じゃ。 」
すごい!
あの世界企業の従業員さんのネクタイは、宮下さんちの1台の古い機械から作られ
ていたのです。毎日締めるネクタイ。きっとしっかりと丈夫で、日本の技術力の
高さを伺い知ることの出来る品質なのでしょう。
さて、いよいよ宮下文書を見るために宮下本家へ。
この宮下文書は「富士古文書」ともいいます。孝霊天皇の時代に日本に渡来した
徐福が、阿祖山大神宮(富士山大神宮)の神官から見せられた膨大な古記録をもと
に漢文でまとめた古文書であり、徐福の七代後裔・秦福寿が書写・追録したものと
(天智天皇10年に中臣藤原物部麻呂が書き直したものとも)されています。
これが、阿祖山大神宮の宮司を代々務めてきた宮下家に保存されていたため「 宮下
文書 」として広く知れ渡りました。
もともと木片や石面などに神代文字で記されていたものを、史伝に着目した徐福が
漢字に書き直したという伝承により「 徐福文書 」とも言われるようになったそう
です。
…続く…
by Emi Nakamura
by kyowado
| 2009-11-09 23:55
| ちょっとお出掛け

