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響和堂Blog 『 湧玉 wakutama 』

山陰の旅_出雲編

浩子です。
今回の旅はANAのツアーパック 「世界遺産石見銀山と出雲・松江の旅」であります。
初日と三日目はフリー、二日目は出雲大社、石見銀山のガイド付き、というプランでして、
二日目の朝は8時半に宿泊している松江のホテルにタクシーのお迎えがあり、出発!宍道湖沿い
の道を約1時間のドライブです。まず連れていってもらったのは、「大社駅」。
JR大社線の駅(廃駅)で、大社線廃止に伴い1990年4月1日に閉じられたそうです。
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駅舎は1924年(大正13年)に竣工した2代目駅舎で、出雲大社を模したつくり、廃止後もホーム
や駅の掲示などもすべて当時のまま残されており、2004年に国の重要文化財に指定されたそう
です。また数十年前には東京⇔大社間の直通急行列車「出雲」が運行されていたり、参詣者の
団体臨時列車などが乗り入れてきていたため、とても田舎の駅とは思えないくらいホームは広く
長くなっています。
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             あ、子猫駅長だ!
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いよいよ出雲大社です。
 (出雲大社HPより)
  出雲の国は、神の国、神話の国として知られています。その“出雲の国”には、今もなお古の
  神社がいたるところにあります。そして、その中心が「大国主大神(おおくにぬしのおおかみ)」
  をおまつりする出雲大社(いづもおおやしろ)です。
  大国主大神は、「だいこくさま」と申して慕われている神さまです。だいこくさまは、「天の下
  造らしし大神」とも申しますように、私達の遠い遠い親達と喜びも悲しみも共にせられて、国土
  を開拓され、国づくり、村づくりに御苦心になり、農耕・漁業をすすめ、殖産の法をお教えになり、
  人々の生活の基礎を固めて下さいました。また、医薬の道をお始めになって、今もなお人々の
  病苦をお救いになる等、慈愛ある御心を寄せて下さったのです。だいこくさまは、救いの親神
  さまであると共に、すべてのものが「おのずから」の姿にあるように護って下さる親神です。

駐車場が御本殿の隣にありますが、運転手さんのはからいで参道入り口で降ろしてもらい
ました。参道のほうから歩かねばわかりませんが、出雲大社には4つの鳥居があります。
一の鳥居は宇迦橋の袂にある大鳥居(コンクリート)、写真は二の鳥居(木造)です。
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傘をささなくてもよいくらいの小雨の中、松並木の美しい参道を歩きます。
こちらに三の鳥居(鉄)。10時前はまだ人もまばらで、空気がピンと澄んでいて清々しい。
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四の鳥居(銅)は拝殿前にあります。(…鳥居くぐってからこの写真撮りました。失敗!)
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出雲大社は 『 平成の大遷宮 』 に向けて準備が進められており、御本殿をはじめ国重要文化財
の摂社・末社の御社殿も修造されることになります。
御本殿修造に伴って、平成20年 大國主大神様に御仮殿にお遷りいただき 御鎮座いただく
「仮殿遷座祭」が行われました。御本殿修造がととのうのは平成25年、その5月に御本殿に
大國主大神様にお還りいただく「本殿遷座祭」が行われることになっています。

もともとの拝殿が御仮殿となり(写真中央)、御祈祷・御神楽等を斎行する建物として、
仮拝殿(写真左の新しい建物)がつくられ、奥の大きな白っぽい建物の中で御本殿修造中です。
その時、宮司様が出て来られて、御仮殿で儀式がはじまりました。祝詞がはじまったとき
どんよりした暗い空がふぁ~っと明るくなり、雲がうすれてお日様が。。。
写真ではわかりにくいですが、宮司様は御仮殿の正面ではなく、側面から向かわれています。
(東向きに座られている) これは、御神座が参拝者へ向かって正面を向かず、西向きであるから
だそうです。 ※ 御神座が西を向いている理由については諸説あるそうです。
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この大きな赤い印は、平成12年に拝殿北側地下の発掘飼査により検出さた御柱の大きさと位置
を表すものです。古から伝え継がれてきた巨大な神殿を造っていた御柱であり、「田」の字に
正方形の周囲に8ヵ所と中央1ヵ所に配置されていたことがわかり、いずれも3本の杉の巨木
(直径1m×3本)を束ねて1本として立てられていたそうです。また表面に赤色の顔料(ベンガラ)
が残り、御社は赤く塗られていたことが明らかになったとか。
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古代出雲大社模型展示館 「雲太」 にて。
高さ48mの平安時代の本殿、長さ109mの階段などを10分の1の大きさで再現しています。
平安時代初期の「口遊(くちずさみ)」という書物に「雲太、和二、京三」と書かれてあるそうで、
古代の出雲大社(当時は杵築大社きづきのおほやしろ)は大和の東大寺大仏殿、京の大極殿を
しのぐ大きさであったと推測されます。あの大仏殿よりも大きなものがこの地にあったなんて
すごーい (@_@;)  ※ 現在の御本殿の高さは24m。
左奥の赤い柱は御柱 原寸大のものです。
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この日、島根県立古代出雲博物館がなぜか休館。。。(休館日じゃないはずなのに)
その代わりに運転者さんが連れて行ってくださったのは、出雲阿国のお墓。
歌舞伎の始祖と言われる出雲阿国は大社出身で巫女であったといわれており、こちらには
今でも歌舞伎や芸能関係者らが参拝するそうです。
そして石見へと向かいました。
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by kyowado | 2009-11-30 23:59 | 旅の思い出