2009年 12月 02日
山陰の旅_石見銀山編
出雲から車で約1時間半、石見に到着しました。
石見銀山遺跡は、島根県のほぼ真ん中に位置する大田市大森町を中心とする広い範囲に
広がる遺跡です。16世紀 大航海時代、世界で流通した銀のおよそ3分の1が日本の銀で
あり、そのほとんどが石見銀山で産出されたものであったといいます。
ここからは、タクシーの運転手さんから現地ガイドさんにバトンタッチです。
今回は、代官所跡や江戸時代の街並みが残っている地域(大森エリア)と、山奥の坑道
の地域(銀山エリア)を約4時間かけて歩きました。
大森地区の街並み・・・かつては武家屋敷や町家が軒を連ねた通りであり、昔の風情を
漂わせています。
16世紀~17世紀の約100年の間は 銀山争奪の時代であり、産出された銀は大内氏、尼子氏、
毛利氏などの戦国大名の軍資金や江戸幕府の財源として使われました。また、海外にも数
多く輸出され、中国(明)や朝鮮半島などのアジア諸国と、ポルトガルやスペインなどの
ヨーロッパ諸国を交易で結ぶ役割の一端を担ったとのこと。
金や銀によって、よく知られている鉄砲伝来やキリスト教布教などへと歴史がすすんでいきます。
ガイドさんの説明によって、この小さな地域が歴史的に重要な役割をもつ場所であったこと
を知り、ただの街歩き、山歩きではなく深い興味がわいてきます。
鉱山跡への道中、小雨に降られましたが風はなく、シンとした山道をもくもくと歩きます。
人々が生活していた気配はもはやなく、村も家屋も森の中に還ってしまっています。
足元にごろごろと角ばり苔生した石が多数転がっており、それは山津波などで流された墓だと
説明されました。それさえも自然の一部としてあり、長い時間の流れの中でそのまま残された
手つかずの姿なのでした。
山採掘のために掘られた「間歩(まぶ)」と呼ばれる坑道が500余り残り、入口にはナンバーの
看板を付けて管理されています。
現在、公開されているのは坑道は「龍源寺間歩」のみであり、観光用に整備されて通り抜け
ができるようになっています。 坑内には生々しいノミ跡もあり、また当時の採掘の作業工程が
わかるようにパネルが展示され解説もされています。
最盛期には人口が約20万人とも言われるほど賑いを見せていたそうですが、働き手は農家の
二男三男などの家督のない人々が多かったとか、そして過酷な労働環境のために平均寿命は30歳
くらいであったとも言われ、その分お給金は高く生活は豊かであり、子供への米の支給制度が
あったり(子育て支援!)と、当時の人々の暮らしにまでガイドさんの話はつきることなく・・
資料館のように目で見て学ぶよりもはるかに想像力が掻き立てられて楽しめるのでした。
やがて江戸末期には深く掘らなければ銀を産出できなくなり、明治時代以降も何度も再産出を
試みられますが、やがて1943年に完全閉山となりました。
2007年、石見銀山は世界遺産に登録されました。
どうして石見銀山が世界遺産となったのか、それは自然を破壊せず、環境に配慮した「自然環境
と共存した産業遺跡」であることが、評価された重要なポイントだそうです。
自分の目で見て歩いて、深く納得しました。
たくさん歩いた後は、やはり・・・外せません。素敵な珈琲店やカフェがいくつもあって迷いました。
豆乳チャイでポカポカに。
夕方、松江に帰るタクシーの中はすやすや夢心地。いやー、午前中の出雲、午後の石見銀山と
盛りだくさんの一日でした。
二日目の夜も、松葉ガニ(ゆで)を美味しくいただきました…♪ ごちそうさまでした。