2011年 08月 06日
8月6日、66年目のヒロシマ
そう、福島第一原子力発電所の事故による放射能汚染の恐怖に、今、日本が
晒されているからだ。

この日21時からのNHKスペシャルは「原爆投下、活かされなかった極秘情報」。
これまで日本は、アメリカが原爆攻撃の準備をしていることを知らないまま、
“想定外”の奇襲を受けたとしてきた。しかし実際は、原爆投下に向けた米軍の
動きを事前に察知していたことが、新たな証言と資料から明らかになってきた。
元・日本軍諜報部隊の現在90歳前後となった老人が、重い口を開いて、「防げる
はずだった原爆投下」を「もっと被害を少なくすることができたはず」である
ことを苦々しく語る。
日本軍の諜報部隊が追跡していたのは、テニアン島を拠点に活動する米軍のある
部隊。日本軍は、不審なコールサインで交信するこの部隊を、「ある任務を負っ
た特殊部隊」とみて警戒していたのだ。
一方、日本軍は米軍に対抗して原爆開発を進めており、一日も早い製造をと上層
部からプレッシャーをかけられていたが、「日本にはウラン原鉱石が乏しく、
研究開発に長時間を要するので、今次大戦中には間に合いそうもない。しかしな
がら、米国も恐らく、今次大戦中には実現不可能と思われる。」という報告書を
提出して開発を中断してしまったため、米国が製造に成功したことを、認めること
ができなかったという状況を生んでいた。
8月6日、コールサインを傍受した軍は、特殊部隊が広島に迫っていることを察知。
しかし、空襲警報さえ出されないまま、原爆は人々の頭上で炸裂した。
原爆を搭載した「エノラ・ゲイ」の動きを攪乱するために、西宮や宇部や四国、
九州に向かったB29の空襲に対しては警報を発令したのに、何故か広島には発令
されなかった。
何故か?
空襲警報が出ていれば、多くの人が地下の防空壕に隠れることができたはずで、
爆風に吹き飛ばされ、身体を焼かれ、当時の人口35万人のうち14万人が死亡する
ようなとてつもない惨劇にはならなかったはず。
(写真は、原爆投下後、一瞬にして焼け野原となった広島の街。)

そして9日未明、軍は再び同じコールサインを傍受、「第2の原爆」と確信した。
情報が軍の上層部にも伝えられたのは投下の5時間前。わかっていたのに阻止する
手立てはうたれなかった。
何故だ?
そして、長崎にも悲劇が起こる。
広島・長崎あわせて20万を超える人々の命を奪った原子爆弾。何故、事前にわかっ
ていた極秘情報が活かされなかったのかは闇の中である。
ただ、広島に投下された直後に「原子爆弾」の確信があったにも関わらず、「米国
も実現不可能」としていた爆弾が使用された事実を認めることを拒んだ一部の人間
の判断によって被害が甚大になったことはまぎれもない。
原爆投下によって戦争を終結させることを望んだ人間が、日本軍の中にもいたのか?
と疑問に思うほどの大罪である。(米国は戦争を終結させるためではなく、実験の
ために原爆投下したということは周知のことだが。)
一部の人間の保身、判断ミスによって、二つの都市が一度壊滅した。そして、その
後何十年にもわたって苦しみ続けなければならない放射能による甚大な被害を受けた。
「過ちは二度と繰り返しませんから」と石碑に刻んだのに、私達はまた同じ過ちを
犯してはいないか?
7月27日、衆議院・厚生労働委員会で行われた「放射線の健康への影響」に参考人
として招致された、児玉龍彦氏 (東京大学先端科学技術研究センター教授 / 東京大学
アイソトープ総合センター長)が、怒りとともにこう語っている。
「・・・(中略)・・・熱量からの計算では広島原爆の29.6個分に相当するもの
が露出しております。ウラン換算では20個分のものが漏出しています。
さらにおそるべきことにはこれまでの知見で、原爆による放射能の残存量と、原発
から放出されたものの残存量は1年経って、原爆が1000分の1程度に低下するのに
対して、原発からの放射線汚染物は10分の1程度にしかならない。
つまり今回の福島原発の問題はチェルノブイリ事故と同様、原爆数十個分に相当す
る量と、原爆汚染よりもずっと大量の残存物を放出したということが、まず考える
前提になります。」
仲村 映美