2011年 10月 04日
神倉神社(2011.8.24)
道を間違えて入り込んだ道路が、道幅がどんどん狭くなって、ガードレールと車と
の距離が3〜5cmしかなくなってきた。これ以上狭くなったらどうしよう?!と
ひやひやしながらゆっくりと慎重に運転する。少しでも擦ったら大変だ。
100m以上あったような気がしてホトホト疲れたが、なんとかギリギリ通り抜ける
ことができた。あぁ、また非日常的な緊張感、冒険気分。(笑)

ひと仕事終えたような気持ちで神倉神社の駐車場に着いた。
車を降りると、向かい側に駐めてあった車で帰ろうとしていた男性が、声を掛けて
きた。「パンフレットあげようか?」
「は??」
「これ、あげるよ。」といきなり熊野関連のガイドマップ付きの数枚のパンフレット
を手渡されて、その男性はその場を去った。一番上にあるのは「十津川村」の小冊子。
実は、この日泊まる宿をまだ決めておらず、熊野本宮大社の近くに泊まるか、明日の
スケジュールを考えて、奈良県・十津川村まで行くかどうしようかまだ決めていな
かったのだ。これは、今日、十津川村へ行けということだな。温泉にゆっくり浸かるの
もいいだろう。その場で、素泊まりできる温泉保養館に電話予約した。

さぁ、神倉神社へと向かおうとしたら、駐車場の隣にはなんと「出雲大社」があった。

そして、神倉山を登る。

境内外縁は断崖絶壁になっており、山上へは、源頼朝が寄進したと伝えられる、急勾配
の鎌倉積み石段538段を登らなければならない。(538段で、ゴサンパイ?…笑)

この石段、ゴツゴツした石が無造作に積まれているような作りなので、注意して登らな
いと危険だ。マジで、歳とってたら絶対無理だなぁ。下りるほうがもっと怖そうだ。
あぁー、しんどー。なんでまたこんな修行をしなきゃいけないんだ?などと、ハァハァ
息を上げながら登っていく。

そして、ご神体「ゴトビキ岩」(「琴引岩」とも。ゴトビキとはヒキガエルをあらわす
新宮の方言)が祀られている所へたどり着いた。

新宮市が見渡せる。
ひとりのお爺さんが、「ひとりで来たん?」と。
私「はい、東京から車で来ました。」
お爺さん「丁度今、一枚あるから、これをあげよう。」と写真をくださった。
満開の桜とゴトビキ岩のこの写真だ。

お爺さん「この写真は、私が1985年に撮影したもんでね。右側にある桜の木、これは
今はもうないんやわ。台風で倒れてしもうてな。もう、こんな写真は撮られへんから、
あげるわ。」と。
更に、地元の新聞に掲載されたというお爺さんの神倉神社への想いを綴った文章の
コピーもくださった。
「・・・修行をして、おごり、高ぶりが心身に出ていないか、心すべきと思います。
人生とは人生行と感じ、各人それぞれの使命を果たすこと。親切正直そして最も大切
なことは、人に根性悪をしないことです。・・・」
新聞には、お爺さんのお名前と年齢が書かれていた。80歳だ。
毎日この石段を登っていらっしゃるという。素晴らしい。

さて、やはり、下りる方が大変だったが、入り口に「ご自由にお使いください」と置い
てあった杖を借りていたので、随分助かった。しかし、お爺さんのスタスタと軽い足取
りをみると、情けない姿だ。


心の緊張感と、身体の平衡感覚をとりながら一段一段下りていく。その非日常的な体感
を何度も味わう旅。
次は、那智の滝へ向かおう。
仲村 映美