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響和堂Blog 『 湧玉 wakutama 』

錦帯橋

浩子です。
仙酔島に泊まった翌日は、船で鞆の浦に戻って町を少し歩いて、
帰りました。
鞆の浦から福山駅まで車で30分、福山駅から新岩国駅まで
新幹線で約1時間です。

私の故郷は山口県の東の端、岩国です。
故郷をどんなところか尋ねられたとき、まず「錦帯橋があります」と
言います。次に「宇野千代さんの故郷です」、次に「米軍基地が…」

帰省するとかならず錦帯橋に行き、歩いて渡ります。
春は桜、夏は鵜飼と花火大会、秋は紅葉、冬は雪景色
四季おりおりの風景を楽しみながら歩くのはとってもいいですよ。
私にとっては夕暮れ時友人と橋の上でぼんやり過ごした時間だとか、
祖母が元気なころに一緒に紅葉を見に行ったことだとか、
耳に残るそのときの水の音だとか…・日常の延長にある思い出の場所、
でもあります。

晩年の宇野千代さんがこのように語られたそうです。
「桜も日本一、 錦帯橋も日本一、 こんな日本一の故郷を持っている
幸せ者が二人とあるだろうか。 私はとても故郷に感謝している。」
10年くらい前に何かで読んだのですが、その時は故郷を特別に
意識したことがなく、そんなふうに思えるようにいつかなれたらいいなぁ、と。
今は、故郷の美しさややさしさが、ちょっとわかるようになったかな?
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錦帯橋のご紹介/岩国市観光協会HPより
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錦帯橋は、山口県最大の河川である錦川(川幅200m)に架かっている
5連の木造橋であり、今から約330年前の1673年(延宝元)第三代岩国
藩主吉川広嘉(きっかわひろよし)によって創建されました。

岩国藩の悲願である流れない橋として誕生したこの橋は、創建翌年1674
(延宝2)年5月の梅雨の洪水によりあえなく流出してしまいましたが原因
を徹底的に究明し、同年10月末に二代目錦帯橋が完成しています。

それから、276年間不落を誇った錦帯橋でしたが昭和25年9月に岩国地方を
襲ったキジア台風によって2度目の流出をしてしまいます。
しかし、岩国市では橋脚に近代工法を取り入れるなどして直ちに再建工事
に着手し、三代目錦帯橋は昭和28年に完成しました。

以来、半世紀にわたって人々を渡し続けてきた錦帯橋ですが、木造橋の
宿命である腐朽による傷みが見られるようになったため、平成13年度から
平成15年度にかけて50年ぶりの「平成の架替」に取り組み、総事業費
約26億をかけた大事業は、平成16年3月20日に完成しました。
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平成の架替については、その当時テレビでもよく紹介されていたので
ご存じの方もいらっしゃると思いますが(…あまりご存じないかな?)、
架け替え当時は白木の若々しさが目にまぶしく、見ている側もなんとなく
気恥ずかしいような落ち着かない様相でありましたが、今は風雨に
さらされ風合いを重ねて景色に馴染み、堂々とした姿を見せてくれています。
(親バカな表現だなあ…)

うちは稼業が材木屋であった関係から伯父がプロジェクトに参加をし、
県内だけでは到底賄えない木材の調達のため、全国何か所も探して回った
そうです。その話を聞いているので、あの木の一本一本が親戚か家族
みたいに思え、撫でたくなるくらい愛情が湧いてくるのでした。
(材木屋の娘根性…)

ところで、総括責任者(大工棟梁)の海老崎さんは、NHKの番組「ようこそ
先輩 課外授業」等にご出演されたりして、地元では有名な人なのですが、
海老崎組では代々錦帯橋の架替工事に携わっておられるのだそうです。
昭和26~28年のエ事には、父、祖父が従事されて、若かりし海老崎さんも
それを経験、学び、ご自分の代で平成の架替に取り組まれたとのこと、
その誇りと情熱に充ちたお話を聞いて感動したものです。(←テレビを見て…)
こんな素晴らしい名工が岩国に…!

余談ですが、実家に帰ったら斜めお向かいの妹の同級生のお宅が建替えのため
ちょうど取り壊しをされている最中でした。
なんでも、海老崎さんのところで建ててもらうのだそう…。
岩国、狭い!!!
by kyowado | 2008-10-17 13:00 | あれこれ…想う