2012年 11月 23日
京都の紅葉

紅葉の時期の京都が激混みなのは覚悟の上、今回の京都出張滞在中に2日オフがとれたので
広島にいる母や姉二人(双子)と合流して、京都の秋を楽しむことにした。
母娘4人の旅は、30年以上ぶりではないだろうか。

京都の紅葉といえば、東福寺。



そして、日本画家・石踊達哉氏の襖絵を特別公開している妙法院、八瀬の瑠璃光院へ。




仲村 映美
2011年 08月 20日
福島・須賀川市釈迦堂川全国花火大会
高校の同級生で、現在福島市に住むKクンから連絡があった。
須賀川は福島県の中央あたりに位置する市で、今年33回目を迎える花火大会が行われ、
一万発の花火が夜空を彩るという。
今、深刻な放射能問題を抱えている福島に住み、日々ストレスを感じながら生活
している人達にとって、この花火大会は大きな楽しみとなることだろう。
大会のテーマは「次代を担う子供たちに夢や希望、感動を与え、地域の活性化を図る
とともに、去る3月11日に発生した東日本大震災への追悼と復興祈願、元気な須賀川
を県内外に広くアピールします。」とある。
丁度、私達と同じ高校の同級生であるNクン(東京の某大手広告代理店勤務)も
「ふくしまに、あしたの種を。ふくしまシード」というボランティア団体の代表を
務める関係で、須賀川市を中心にした活動をしていることもあり、花火大会で合流する
ことになった。

東北新幹線に乗ったのは初めて。1時間ちょっとで新白河駅に着いた。
友人が手配してくれた温泉宿で、まずは汗を流してから、ビールで乾杯。
一息ついて、近くの矢吹駅からJR在来線で須賀川駅へ。
さすがに会場は多くの見物客でごった返していたが、とても見やすい場所に座席を
用意していただくことができたので、ラッキーだった。
とにかく、すごい迫力。すごい美しさ。
あいにく小雨交じりの天候だったが、多少濡れるのはなんのその、大いに堪能した。











仲村 映美
2011年 08月 19日
東へ西へ
8月22日のマリンバ・シンスケ君のバースデーライブが終わってから、その足
で今度は西へ、伊勢・熊野・広島を巡るクルマひとり旅に出ます。
三重県・瀧原宮〜花の窟〜丹倉(あかくら)神社〜神内神社〜
和歌山県・熊野速玉大社〜熊野那智大社〜熊野本宮大社〜
奈良県・玉置神社を2泊3日で廻ってから、故郷・広島へ。
広島で3日過ごしてから、再び三重県・伊勢に寄ってから30日に東京に戻る
予定です。
別にパワースポットめぐりをやろうと思っているわけではありませんし、
なにかの目覚めを求めているわけでもありません。
何か強い気持ちにひっぱられて行くということでもなく、丁度2008年に北カリ
フォルニアのシャスタ山に一人旅した時のように、何をしに行くのかよくわから
ないけど、とりあえず、行ってみようという不思議な感覚でいます。
ただ、今いろいろ考えていること、自分のこれからやりたいことが次の段階に
入ってきていて、それは、今までのようにとにかく一気に導かれてきた流れとは
違ってきているので、伊勢から熊野をたどりながら、心を落ち着けて、今一度
自分の志をしっかりと立ててこようと思っています。
ここまで長距離のクルマ旅は初めてなので、わくわくします。
ま、気軽な一人旅、のんびりと楽しんでこようと思います。
仲村 映美
2011年 02月 21日
カタール・クウェート公演に行ってきます!
カタールにて3公演、クウェートにて5公演、和の心を響かせて
参ります。
和太鼓・壱太郎と佐藤晃弘、そして尺八・岩田卓也とともに。
向こうからブログアップできればしたいと思ってます。
何かと心配な中東情勢。
今回は外務省・日本大使館のお仕事ですので、全てサポートして頂けます
から何も心配しておりません。
ま、何かあっても、自分ゼッタイ大丈夫っ!って思ってるので(笑)、
ちょっとビビリ気味の男性陣をしっかり元気付けるつもり。
では、みなさまお土産話をお楽しみに!
仲村映美
2010年 03月 21日
福山鞆の浦・仙酔島
ずっと2〜3時間の睡眠で、あれこれ動いておりまして、ようやくブログアップ。
タイトルの福山市鞆の浦(広島県)を訪れたのは、コンサートのリハーサルの為に
広島入りした2月27日(土)です。
「 仙酔島 」と聞いて「 あれ? 以前にも目にした島の名前…?! 」と思ったアナタ
はかなりの“ 湧玉通 ”です。
そう、2008年10月のブログに浩子ちゃんが「 仙人が酔うほど美しい島 」として
紹介してくれたあの島です。
http://kyowado.exblog.jp/9938073/
広島空港に迎えに来てくれた姉と姪っ子達、友人と5人で半日遊ぶことにしました。
浩子ちゃんが訪れた時と現在とで大きく違っているのが、鞆の浦全体がNHK大河ドラ
マ放送中の坂本龍馬を大きくフューチャーしていること。

島へ渡る船も、龍馬の「 いろは丸 」事件にちなんで、黒船っぽく改良されており、
街のあちこちに龍馬の像や、鞆の浦を訪れた時の様子を記載された案内が作られて
いました。
仙酔島に渡ると出迎えてくれたのは、浩子ちゃんの時は“ たぬき ”でしたが、
私の目の前に現れたのは“ むじな ”でした。写真を見比べると違いがわかります。


梅の花が咲き、ホーホケキョと鶯が春の到来を告げます。
私達も「 人生感が変わる宿 ここから 」の江戸風呂を楽しみました。(もちろん写真
はありません。…笑)

島を散策していると、島内で特にパワースポットと呼ばれている五色岩のある浜で、
普段は行き来できない小島が干潮で渡れるようになっていました。ゴツゴツした
岩場を渡り、腰掛けて瀬戸内海を眺めていると、心地よい風が頬を撫でます。

さて、今回鞆の浦を訪れた一番の目的は、「 雛めぐり 」をすることでした。

街中の商店がお雛様を飾り、大変な賑わいを見せています。

その中でも特に、“ 保命酒 ”( 養命酒のような薬酒 )で財を成した太田家の重要
文化財に指定されている屋敷に展示してあるお雛様は必見です。
これは、広島県廿日市在住の雛人形収集家の所蔵品を太田家にて公開していると
いうものです。とても素晴らしいコレクションなので、3月13日のひなまつりコン
サートにて、舞台スクリーンで紹介したいとその収集家にお願いして写真撮影
させてもらうことになったのです。
コレクションの一部を次頁にて、ご紹介しましょう。
by Emi Nakamura
2010年 03月 05日
雪の武尊温泉 その2
今回 「萱の家」 に惹かれたのは、ホームページをたまたま見つけて、建物の美し
さや経営者の方のおもてなしの心に感じるものがあったからですが、決め手は・・・
「玄米菜食 精進料理 が 美・味・し・そ・う」で、ありました。
夕食は6時スタート。宿泊客みんな揃って食堂でいただきます。
この日は満室ということで12名でした。
(HPより)
武尊山の清冽な湧水、無農薬、有機農法による玄米、地元産の新鮮な野菜、山里で
採れる山菜、きのこなど、季節感を大切にしながら、素材を吟味し、昔ながらの製法
による無添加の調味料を用い、一品、一品まごころをこめて、手抜きをしない本当の
手作りの精進料理でおもてなししております。
その味わいの中に、自然の慈しみを感じていただければ、幸いと存じます。
料理には砂糖は使わず、野菜の旨みとお出汁を生かした優しく素朴なお味を楽しめ
ます。出汁は、利尻昆布、大豆、人参などからとるそう、宿の主人がひとつひとつ
丁寧に説明をしながら料理を出してくれました。



初めて見ました!全体のフォルムを・・ (^_^;)
普通はお椀に2~3片入っているものですから、丸ごとなんて滅多にお目にかかれま
せん。地元では大きさ・形の同じものを揃えることができないため、北海道の美瑛の
契約農家から仕入れているそうです。一つずつ土やごみを取り除く作業だけで20分
かかるとか。布で包んでコトコトとお出汁で煮て、それはほこほことしていて甘くて
絶品。梅肉を添えて。


さすがにムリ(笑)


それでもこの量、この種類です。
精進揚げ(写真なし)の揚げ油は「綿油」、綿の実を絞って取れる油で品質がよく
胃もたれなどしないそうです。ふきのとう、たらの芽、ハス、かぼちゃのほかに、
出汁をとる時に使った大豆の皮を取り、茹でてやわらかくしたものに、刻んだ大葉
と一味を加えてかき揚げにしたものがありました。とっても美味しかった。
肉魚卵など使わずに、これだけの品数があってもメリハリの効いた飽きない御料理
ばかり、本来の日本の食生活、日本人の知恵なのでしょうか。
そして、素材の全てを無駄にせず、生かされるよう、ひと手間をも惜しまない料理
人の心遣いを端々に気づかされ、お腹も心も満足・満足でありました。
翌朝も青空。前日夕方からちらちらと雪が舞っていましたがさほど積らず。
部屋からの景色、ピンと張った空気、すべてがキラキラときれいです。


夜と朝の二回の食事で、なんと50種類の食材をいただいたそうです。



すばらしい土地、すばらしい宿・人のご縁をいただけたことに感謝をお伝えして・・。

先日北海道を旅した友人から、雪の上に人型をつけた写真を見せてもらったので
挑戦してみたのです。・・・固くて痛かった、そうです。(強制的にやらせてません。念のため…)


萱の家HPhttp://www.kayanoie.net/index.html
2010年 03月 04日
雪の武尊温泉 その1
私は花粉症です。
都会は花粉+排気ガスや粉塵が混ざってるから凶悪なんだよ。
だから山のほうが混ざり物がないぶん、楽らしいよ。
・・誰かがテレビで言ったのでしょうか。そんな都市伝説を真に受けて・・
そうなんだ!!と去年3月に長野山奥にある温泉に行きました。露天風呂に浸か
ると目の前3mのところに杉木立。ぶるんぶるんと花粉いっぱいの枝を揺らして
いました。
その夜、くしゃみ鼻水の大発作・・。
都内に戻っても一週間体調悪く、二度と3月に山は行かない、と誓いました。
そんなトラウマがあるものですから、まだ安全な2月に群馬の温泉に行ってきました♪
武尊温泉(ほたかおんせん)は薄根川源流近くに位置する、太古の昔に日本武尊
が東国行脚の際に立ち寄ったと伝えられる秘湯の雰囲気が漂う温泉・・・です。
JR上越線沼田駅から循環バスに乗って40分、これが…久々のバスに酔ってしま
いダウン。固く目を閉じて耐えていましたが、途中顔を上げると雪景色の中を走
っていました。
武噂温泉、萱の家(かやのいえ)に到着。
~ 武尊温泉『萱の家』は、群馬県の北部、川場村に位置し、日本百名山のひとつ
にも選ばれている武尊山の山麓に、ひっそりと佇む古民家風情あふれる わずか全
6室の素朴なお宿です。 ~ (HPより)
この宿は30年前、近隣の川場村、白沢村に古くからあった5軒の萱葺き古民家を
譲り受けて解体し、移築再生したものだそうです。貴重な先人の遺産に現代的な
意匠を取り入れながら、修繕を行い、大切に維持してこられたもの。
すばらしい外観に見惚れてしばし足が止まりました。






十畳の和室、畳は床暖房でほんのり温かく、天井は高く大きな梁でしっかりと組まれています。
材木屋の娘としては、こういう古い太い木を見るだけでテンションがアップ!アップ!
テレビはなく静かな時間がただ流れます。



露天はありませんが、天井が高くて広々とした明るいお風呂です。総檜の湯船には
田の字に板が渡してあり、そこに頭をもたげて寛ぐことができます。さらりとした
柔らかいお湯でした。
でも!広すぎて、真冬にはちょっと寒かった・・・(>_<)

つづく♪
2009年 12月 03日
山陰の旅_再び松江編
旅の三日目は、友人の友人に車で松江周辺を案内してもらいました。
佐太神社と田中神社におまいりに、と車を走らせたところ、友人は初詣で何度も行った
ことがあるのに、なぜか辿り着けず、のどかな農道を行ったり来たり。
方違え~?などと笑いつつも、本当に着かないなぜ着かない・・?
すると、なぜだか到着したのがこちら・・・多久神社。


こちらは産土(うぶすな)大神さまでした。そして市杵島姫命もおまつりされていましたので、
ちょっとご挨拶していかれてはどうですか?と案内されたのでしょうか・・笑
そして出雲國二ノ宮である佐太神社へ、今度はすんなりと到着。

・・・佐太大神は世に云う猿田毘古大神(さるたひこおおかみ)であり、除災、招福、長寿の神で、
海陸交通守護、地鎮、縁結び、安産の神として人々が日々楽しく豊な生活が送れますように
「おみちびき」いただける大神であります。・・・

今回、友人のたっての希望だった田中神社。人間関係をすっきりよりよく、というお願いを抱いて
やってまいりました。
田中神社は佐太神社の本社北殿の摂社で東へ100メートル離れた場所に、二つのお社が背を
向けて建っています。佐太神社の御本殿に向かっているのが西社で木花開耶姫命(このはなさくや
ひめのみこと)を祀り、“ 縁結び・安産 ” 、背を向けて建つ東社は磐長姫命(いわながひめのみこと)
を祀り “ 縁切り・長寿 ” の信仰があるとのことです。
ちなみに、本社北殿には御祭神 瓊々杵尊(ににぎのみこと)が祀られており、妻の木花開耶姫命
と向かい合う配置になっているそうです。
おまいりの順番は、縁切り ⇒ 縁結びということで、まず磐長姫命に、そして木花開耶姫命が
よいでしょう、と宮司様にご説明を受け。
しかし、私としたことが、というかなんというか、うっかり逆をお願いしてしまいまして(>_<)
でも、いろいろあられたとは思いますがご姉妹なので相談してくださるのではと、車の中から
手をあわせたのでした。さっきの願い事は逆ということで、ひとつよろしくお願いします。。。
ランチは松江イングリッシュガーデンで。季節がよければたくさんのバラが咲き乱れているとか。
こちらは2007年までティファニー美術館だった場所で、今はレストラン・カフェ、そしてホールや
回廊ではさまざまなイベントが行われているそうです。




松江フォーゲルパーク、こちらは「花と鳥の楽園」・・あまりのスケールに入ってビックリ!
なんと世界一の室内ガーデンなのだそうです。園内は屋根付きの歩廊で繋がっており「全天候型」
のパーク。一年中満開のベゴニア・フクシアを中心とする花が楽しめ、2つの鳥の温室をはじめ
園内各所ではたくさんの鳥達と出会えます。





フクロウのショーがあって、低空飛行でぶんぶんと頭スレスレを飛んで見せてくれました。
フクロウ好きの友人は2ショットを撮り御満悦。写真はひと仕事終えたフクロウくん。
さて夕方、宍道湖沿いを松江市街に向けて走っていると、湖面にいくすじも光が降りていました。
出雲の方角です。 雲 出る國・・ 宍道湖と空の表情はくるくると変わり、いつまでも眺めていたい
と思いました。

いろいろ満載で楽しかった旅も終り、米子空港に向かいました。
空港の近くで最後の晩餐・・・ 海鮮丼と蟹の味噌汁。 3日間 ごちそうさまでした ♪

2009年 12月 02日
山陰の旅_石見銀山編
出雲から車で約1時間半、石見に到着しました。
石見銀山遺跡は、島根県のほぼ真ん中に位置する大田市大森町を中心とする広い範囲に
広がる遺跡です。16世紀 大航海時代、世界で流通した銀のおよそ3分の1が日本の銀で
あり、そのほとんどが石見銀山で産出されたものであったといいます。
ここからは、タクシーの運転手さんから現地ガイドさんにバトンタッチです。
今回は、代官所跡や江戸時代の街並みが残っている地域(大森エリア)と、山奥の坑道
の地域(銀山エリア)を約4時間かけて歩きました。
大森地区の街並み・・・かつては武家屋敷や町家が軒を連ねた通りであり、昔の風情を
漂わせています。



16世紀~17世紀の約100年の間は 銀山争奪の時代であり、産出された銀は大内氏、尼子氏、
毛利氏などの戦国大名の軍資金や江戸幕府の財源として使われました。また、海外にも数
多く輸出され、中国(明)や朝鮮半島などのアジア諸国と、ポルトガルやスペインなどの
ヨーロッパ諸国を交易で結ぶ役割の一端を担ったとのこと。
金や銀によって、よく知られている鉄砲伝来やキリスト教布教などへと歴史がすすんでいきます。
ガイドさんの説明によって、この小さな地域が歴史的に重要な役割をもつ場所であったこと
を知り、ただの街歩き、山歩きではなく深い興味がわいてきます。
鉱山跡への道中、小雨に降られましたが風はなく、シンとした山道をもくもくと歩きます。
人々が生活していた気配はもはやなく、村も家屋も森の中に還ってしまっています。
足元にごろごろと角ばり苔生した石が多数転がっており、それは山津波などで流された墓だと
説明されました。それさえも自然の一部としてあり、長い時間の流れの中でそのまま残された
手つかずの姿なのでした。



山採掘のために掘られた「間歩(まぶ)」と呼ばれる坑道が500余り残り、入口にはナンバーの
看板を付けて管理されています。

現在、公開されているのは坑道は「龍源寺間歩」のみであり、観光用に整備されて通り抜け
ができるようになっています。 坑内には生々しいノミ跡もあり、また当時の採掘の作業工程が
わかるようにパネルが展示され解説もされています。
最盛期には人口が約20万人とも言われるほど賑いを見せていたそうですが、働き手は農家の
二男三男などの家督のない人々が多かったとか、そして過酷な労働環境のために平均寿命は30歳
くらいであったとも言われ、その分お給金は高く生活は豊かであり、子供への米の支給制度が
あったり(子育て支援!)と、当時の人々の暮らしにまでガイドさんの話はつきることなく・・
資料館のように目で見て学ぶよりもはるかに想像力が掻き立てられて楽しめるのでした。
やがて江戸末期には深く掘らなければ銀を産出できなくなり、明治時代以降も何度も再産出を
試みられますが、やがて1943年に完全閉山となりました。
2007年、石見銀山は世界遺産に登録されました。
どうして石見銀山が世界遺産となったのか、それは自然を破壊せず、環境に配慮した「自然環境
と共存した産業遺跡」であることが、評価された重要なポイントだそうです。
自分の目で見て歩いて、深く納得しました。
たくさん歩いた後は、やはり・・・外せません。素敵な珈琲店やカフェがいくつもあって迷いました。
豆乳チャイでポカポカに。

夕方、松江に帰るタクシーの中はすやすや夢心地。いやー、午前中の出雲、午後の石見銀山と
盛りだくさんの一日でした。
二日目の夜も、松葉ガニ(ゆで)を美味しくいただきました…♪ ごちそうさまでした。

2009年 11月 30日
山陰の旅_出雲編
今回の旅はANAのツアーパック 「世界遺産石見銀山と出雲・松江の旅」であります。
初日と三日目はフリー、二日目は出雲大社、石見銀山のガイド付き、というプランでして、
二日目の朝は8時半に宿泊している松江のホテルにタクシーのお迎えがあり、出発!宍道湖沿い
の道を約1時間のドライブです。まず連れていってもらったのは、「大社駅」。
JR大社線の駅(廃駅)で、大社線廃止に伴い1990年4月1日に閉じられたそうです。

駅舎は1924年(大正13年)に竣工した2代目駅舎で、出雲大社を模したつくり、廃止後もホーム
や駅の掲示などもすべて当時のまま残されており、2004年に国の重要文化財に指定されたそう
です。また数十年前には東京⇔大社間の直通急行列車「出雲」が運行されていたり、参詣者の
団体臨時列車などが乗り入れてきていたため、とても田舎の駅とは思えないくらいホームは広く
長くなっています。




いよいよ出雲大社です。
(出雲大社HPより)
出雲の国は、神の国、神話の国として知られています。その“出雲の国”には、今もなお古の
神社がいたるところにあります。そして、その中心が「大国主大神(おおくにぬしのおおかみ)」
をおまつりする出雲大社(いづもおおやしろ)です。
大国主大神は、「だいこくさま」と申して慕われている神さまです。だいこくさまは、「天の下
造らしし大神」とも申しますように、私達の遠い遠い親達と喜びも悲しみも共にせられて、国土
を開拓され、国づくり、村づくりに御苦心になり、農耕・漁業をすすめ、殖産の法をお教えになり、
人々の生活の基礎を固めて下さいました。また、医薬の道をお始めになって、今もなお人々の
病苦をお救いになる等、慈愛ある御心を寄せて下さったのです。だいこくさまは、救いの親神
さまであると共に、すべてのものが「おのずから」の姿にあるように護って下さる親神です。
駐車場が御本殿の隣にありますが、運転手さんのはからいで参道入り口で降ろしてもらい
ました。参道のほうから歩かねばわかりませんが、出雲大社には4つの鳥居があります。
一の鳥居は宇迦橋の袂にある大鳥居(コンクリート)、写真は二の鳥居(木造)です。

傘をささなくてもよいくらいの小雨の中、松並木の美しい参道を歩きます。
こちらに三の鳥居(鉄)。10時前はまだ人もまばらで、空気がピンと澄んでいて清々しい。

四の鳥居(銅)は拝殿前にあります。(…鳥居くぐってからこの写真撮りました。失敗!)

出雲大社は 『 平成の大遷宮 』 に向けて準備が進められており、御本殿をはじめ国重要文化財
の摂社・末社の御社殿も修造されることになります。
御本殿修造に伴って、平成20年 大國主大神様に御仮殿にお遷りいただき 御鎮座いただく
「仮殿遷座祭」が行われました。御本殿修造がととのうのは平成25年、その5月に御本殿に
大國主大神様にお還りいただく「本殿遷座祭」が行われることになっています。
もともとの拝殿が御仮殿となり(写真中央)、御祈祷・御神楽等を斎行する建物として、
仮拝殿(写真左の新しい建物)がつくられ、奥の大きな白っぽい建物の中で御本殿修造中です。
その時、宮司様が出て来られて、御仮殿で儀式がはじまりました。祝詞がはじまったとき
どんよりした暗い空がふぁ~っと明るくなり、雲がうすれてお日様が。。。
写真ではわかりにくいですが、宮司様は御仮殿の正面ではなく、側面から向かわれています。
(東向きに座られている) これは、御神座が参拝者へ向かって正面を向かず、西向きであるから
だそうです。 ※ 御神座が西を向いている理由については諸説あるそうです。



この大きな赤い印は、平成12年に拝殿北側地下の発掘飼査により検出さた御柱の大きさと位置
を表すものです。古から伝え継がれてきた巨大な神殿を造っていた御柱であり、「田」の字に
正方形の周囲に8ヵ所と中央1ヵ所に配置されていたことがわかり、いずれも3本の杉の巨木
(直径1m×3本)を束ねて1本として立てられていたそうです。また表面に赤色の顔料(ベンガラ)
が残り、御社は赤く塗られていたことが明らかになったとか。

古代出雲大社模型展示館 「雲太」 にて。
高さ48mの平安時代の本殿、長さ109mの階段などを10分の1の大きさで再現しています。
平安時代初期の「口遊(くちずさみ)」という書物に「雲太、和二、京三」と書かれてあるそうで、
古代の出雲大社(当時は杵築大社きづきのおほやしろ)は大和の東大寺大仏殿、京の大極殿を
しのぐ大きさであったと推測されます。あの大仏殿よりも大きなものがこの地にあったなんて
すごーい (@_@;) ※ 現在の御本殿の高さは24m。
左奥の赤い柱は御柱 原寸大のものです。

この日、島根県立古代出雲博物館がなぜか休館。。。(休館日じゃないはずなのに)
その代わりに運転者さんが連れて行ってくださったのは、出雲阿国のお墓。
歌舞伎の始祖と言われる出雲阿国は大社出身で巫女であったといわれており、こちらには
今でも歌舞伎や芸能関係者らが参拝するそうです。
そして石見へと向かいました。
